闘う魂貫く心

あ、ただ単にメタルが好きなだけです

人間関係が苦手なんですよね、でもきっと内心は人が好きでたまらないんです

 空気を読むことが出来るか否かと、読んだ空気から導き出される最適な行動を取れるかどうかは違う。常々これを思っている。

 この人はどうしたら喜ぶ?どうすれば上手く行く?どうすることが一番理想的?そうした思考には結構敏感な方だと思う。けれども、導き出される行動を起こすことが出来ない。「そりゃこうした方が良いに決まってるけどそう簡単には行かないよな」的な物は除いたとして。「今一声掛ければ」「今これを伝えれば」「今これをこうすれば」本当にちょっとしたこと。大そうなことではない。普通の人なら誰でも出来るちょっとしたこと。それが出来ない。

 コミュ障だから。最もな理由な気がする。実際にコミュ障だし。でもたまに考える。もしそれが出来たら?そのちょっとしたことが実現出来たら?自分の人生はぐっと輝き、一段も二段も難易度が下がるんじゃないか。そんな妄想をする。

 

 でも本当にそれが出来たら、理想通りにことが運ぶんだろうか?自分は「そんなことも出来ないクズ野郎だ」というコンプレックスの塊から湧き上がる負のエネルギーから逃げるように「せめて自分が出来る事だけはしっかりと」という想いによって成し遂げて来たことだってある気がする。自分もこんな風になれたら...とシンプルに憧れる人は、トータルで自分の理想に近いだろうか?解る、解るよあなたのその気持ち...と自分に似たオーラを持っている人達は、そうは言っても物凄い何かを持った尊敬するべき人達ではなかろうか。

 

 手を伸ばせば栄光が手に入るんだよ、という甘い妄想と、天は二物を与えずというだろう?短所は短所で抱えていたっていいじゃないか、と自分を慰める妄想に苛まれる。どっちにしたって自分に都合の良い妄想だな、これ。じゃあ別にどっちでもいいじゃないか、なるようになれよ、もう。それでいいよ。

 驚くことに、数十年生きて来た結論がこれに近い。なるようになれよ、で転がって行けばいいんじゃないかと本気で思っている。転がった先で何とか生き抜くだけの術だけは、身に付けてくることが出来ている。それはきっと、やはりコンプレックス故のエネルギーによって得られたものだと思っている。

 

 もし自分が思い描く「理想の人」「コミュ力バリバリのリア充」に生まれていたら...今持っている大事な物はきっと手に入らなかった。その代わりに手に入るであろうたくさんの物は、果たして素晴らしいものだったんだろうか?